みなさんの感想     
このページは現代文の面接授業において、みなさんに書いてもらった感想を集めたものです。
(平成24年度
1月6日(日)の授業で、「世界の名言」というプリントの中から、好きな言葉を選んで感想を書いてもらいました

・どれもすばらしいので一つを選ぶことはできないです。最近、好きな言葉で、「家柄より人柄」があります。人となりを見る時にその人自身を見るようにしています。付き合いしなければわからないですね。

「他人からされたら怒るようなことを人にしてはいけない。」 ソクラテス
この言葉はよく親から聞かされていました。世間的にもよく知られている言葉だと思うのだけれど、これができている人は少ないと思います。私もわかっているに、他人にされたら怒るようなことをついしてしまったりします。とても難しいです。これができるような人間になりたいと思います。

・他人からされたら怒るようなことを人にしてはいけない、これをみんなが出来ればよりよい世界になるだろうが、なかなか難しいからこその世界であるのであろう。相手の気持ちを考えて生きることをこころがけたい。

「未来は明日作るものではない。今日作るものである。」  ピーター・ドラッカー
私の自論である「今という時は瞬時に無くなっている。今という時間を大切に有意義に使おう。」若い時はそうは思わなかったが、先が見えてきた人生の終着駅 !! 余計に時間が大切で、今の時間は明日の為の一歩で、この先を楽しく生きていく為には今の一言、一筆、一行動が大切で、重みを増していると思う。その割には、軽く生きているかな?

「やろうと思えば、人間はたいていのことができると私は思っている。」 本田宗一郎
・この言葉はすごく共感できます。こんな便利な携帯を次々と人間は考え作り出し、誰も想像できなかったことを可能とし、人間は本当に何でもできてしまうんだと思う。すべて気持ち次第なんかな。

・映像でしか見たことがない人ですが、何かこう一本筋が通っている人ですね。このタイトルのような言葉にぴったりな人という思いです。今は色々な事に流されて、大勢の中の一人でいることの安心みたいなものがあって、昔の人のような気概を感じる人や言動も少なく、日本はどう進んで行くんだろうと思う。私は古い人間、考えなのかも知れませんが、。みんな、不安なんでしょうね。

やろうと思えば、人間はたいていのことができるという言葉に、勇気付けられた。

「苦しいという思いは、その人が苦しさを乗り越えられるからこそやってくる。」イチロー
・今日がなければ明日はない。辛いことがあっても、今を乗り越えなければ未来はない。難があるのは、有難い人生。字の通りです。今日の難を乗り越え、日々「有り難い」という気持ちを忘れずに、生きたいです。

・私はいつも、辛いなとか苦しいなとか思ったら、いや、でも、私が強いからもしくはもっと強くならなだめやから、試練を与えられたんかも。って思うようにしているので、共感できました。

・苦しさや試練は、まさにその人が乗り越えられると神様が与える。そして、その時その苦しさから逃げるとする。しかし、また、違った形でましてや以前より増しての苦しみや試練がやってくると私は思う。この苦しみから乗り越えたときの違和感は、めっちゃ、気持ちいい。
・苦しいという思いは、その人が苦しさを乗り越えられるからこそやってくる。私は、この間、イチロー選手のテレビを見ました。こんなにえらいイチローさんも人間なんだな、人なのだなぁと思いました。人一倍一生懸命で、自分のスタイルいやそれ以上の物を求めて、頑張っているのを見たとき、私はなんと何も出来ていない何もしていない人間であるか分かりびっくりしました。こんな私も苦しんで苦しんで今の仕事についたのです。だから、これからももっともっと苦しんで、私の夢に向かって前進して行こうと思います。



12月2日(日)の授業で、「経験の教えについて」という教材でイソップ童話集が出てきました。
いくつかのイソップ童話集の中から感想を書いてもらいました。

「教科書から」
・自分を正しく認識したり、自分を知ることが人生において大切だと思いました。挑戦することも時には必要だと思いますので、消極的にならないようにしないといけないとも考えました。      
「よくばりな犬」・・・「川に写る自分がくわえている肉」を取ろうとするイヌの話。           
・目先の利益しか見ずに行動すると大した良い結果にはならず、失敗に終わることが多い。
始めから無かったものなのに、もらえて得をしたと考える方が幸せであり、「情けは人の為ならず」という言葉があるように、むしろ人に尽くした方がお互いが気持ちよく、そして自分にも良いことがもどってくると思う。

・コップ一杯の水はそれ以上は入らない。人間、欲っしても限界がある。でもコップ一杯の水の代わりにお酒だったらどうだろうか?コップ一杯は一杯でも水の方が良いという人、いやお酒の方が良いという人、いろいろあると思う。自分の価値ある一杯にする為、人間は努力しているのだと思う。欲があるという事は、良いことでも悪くもある。自分次第だと思う。
「お母さんのカニと子どものカニ」・・・・「まっすぐに歩きなさい」と子どもにいうお母さんのカニ。  
・自分も子供にこう言う様な事をしているのだろうと思いました。自分の昔を思い出してみると、よく親からうるさく言われていましたが、親自体ちゃんとできていない人だったので、今となっては悪い見本として日々の子育てに役立っています。
「ネズミの会議」・・・・「ネコの首に鈴をつける」という名案を誰も実行できないという話。        
・よい作戦があっても、それを実行できる人がいなければ、どうにもなりません。まさにその通りだと思いました。話しあってるだけじゃなくて、行動しないといけないなと思いました。

「野ネズミと家ネズミ」・・・・「ビクビクと贅沢するか? か 質素でものんびり生きるか?」という話。
・野ネズミが家ネズミの生活をうらやましく思っていたが、実際には家ネズミは野ネズミからするとビクビクと窮屈な暮らしと知り、自分の暮らしの方がよいと知るところが人の持っているものほどよく見えるだけで、実際にはそうとは限らないのであることがわかる。

「ライオンに恩返ししたネズミ」・・・ライオンも時にネズミに命を助けられることがあるという話。
・ほんわかとした気持ちになるお話の中に、「どんなに強いものでもときには弱いものに助けてもらわなければならない事もある。」というなるほどと思えるものごとの考えが含まれていて素敵だと思いました。

・最初にネズミを食べなかったライオンもすごいけど、本当にライオンを助けたネズミの方がすごいと思った。どんなに強い人間でも、一人では生きていけないし、誰かの助けがなければ無理だということが分かる話だと思った。
                                                                
「北風と太陽」・・・北風と太陽が、「どちらが先に旅人のコートを脱がすか」という競争をするという話。  
・この通りだと思いました。「これをしなさい。」と言われたことはなかなかできないし、逆に、「これはしてはいけません。」と言われたことはしたくなることがある。

・この有名なお話はイソップ童話だったんだなと知った。何をするにも無理やりするのではなくて、よく考えてゆっくりでもよいので、結果は後からちゃんとついてくるんだなと思った。他の話もおもしろかった。
                                                           「太陽とカエル」・・・太陽の結婚式をお祝いするなんてとみんなを諭すカエルの話。
・私はちゃんと自分の意見を持ち、他人に流されない人間でいられているのかと思いました。私は自分の意見・考えをしっかり持っている人は素敵だと思います。

「セミ」・・・・セミは昔、人間だった。芸術を愛する人の中には、食べることや寝る事よりも、芸術を大切にする人がたくさんいます。
・「セミ」のお話はおもしろかった。人間だったと考えられる発想力におどろきです。鳴き声を歌と表現したのもとても美しくて好きです。女神も男性的というか、こういう気持ちのくみ方をするのは男の人に多い気がするので、自分の中の女神と違うイメージでおもしろい。このお話は芸術だけに限らず、人類の進歩のためや自分の好きなことのために、何もかも忘れて没頭してしまうこともありますね。

・セミは昔人間だったという話はおもしろい。芸術を愛する人の中には食べる事や眠る事を忘れてしまい、芸術に没頭する人が古代ギリシャには現代よりもたくさんいたのだと思う。古代ギリシャ人はそういう性質だったと思うし、自分もそういうふうになりたい。



9月16日  現代文の授業で、
@ 「孤独を友とせよ」という文章を読んで、「孤独は友」となるとおもいますか?

A「ブータンの時間」という文章を読んで、
「日本」と「ブータン」か、選べるとするとどちらの国に住みたいですか?

B夏目漱石『こころ』を読んで、
あなたの「こころ」はあなたの体のどこにありますか?
                                                      
@、A、B どれかを選んで、書いてもらいました。

@「孤独は友」となる?
私は若い時は、いろいろな人と付き合いながら話しながら生活していたように思います。でも58歳になって、今やっと一人になって考えることが出来るようになり、一人でいることが好きになりました。これもしたいあれもしたいと思うと毎日が楽しくて仕方がありません。今の私は世界中で一番忙しいくらいなのですが、その忙しさが、気持ちよく心地よいのです。これは、年齢のせいなのかとも思いますが、今が青春のような気がします。生まれてはじめてのことです。孤独とは、「集中できる人間」になるという事ではないかと、思います。

・私は「孤独を友とせよ」を読んで、はじめに思ったのはなんて奥が深い作品なんだと思いました。そして、勉強してあらためてこの作品は奥が深い作品だと思いました。なぜなら、人間はよくさびしくなると孤独という言葉を使いますが、孤独はつらいというイメージを、別のイメージで表しているのが、この作品だと思いました。とてもすばらしく感動しました。

・なりたくはないけれど、なるのかな?なると思う。孤独があるからこそ、恋人や仲間といる時に、「楽しい」と思ったりするんだと思う。もし、孤独がなかったり、わからなかったら、仲間といるときも、これが「楽しい」ことなのかも、わからない。

・孤独は友になれると思う。なった人がいるなら。だいたいの人は進んではなりたいと思わないだけ。

A 「ブータン」か「日本」か?
・日本がいいです。日本の生活を知っているのでブータンで暮らしても「幸せ」かどうかわからないからです。だけど、ブータンの生活を一度体験したいと思いました。

・僕は日本に住みたいです。理由はブータンは時間に余裕がありすぎるからです。時間が余り過ぎると時間を無駄にしてしまいます。日本は仕事が多く時間を有効的に使う事ができます。「時は金なり」です。ある程度切羽詰まった生活の方が、生き生きしています。

・ブータンに住みたい。日本は、今では機械が発達しすぎて何でも機械。話をしていても、ケータイをしながらというのも多い。機械が発達するのは、私達にとって、楽になったという点もあるが、頼りすぎという点もある。今、家にパソコン、ケータイ、クーラー・エアコンがあり、そのために家にいる時間が増え、人と関わることが減っている若者が増えている。

・日本です。何故なら私は今幸せだからです。ブータンもきっと素敵な国なのでしょう。私は知識が乏しいので正確なことはよくわかりませんが、もしかしたら、日本よりもブータンに住んだ方が幸せだ、という結果が数字に現れてくるかもしれません。でも、私は今幸せです。充分幸せです。それに、運命か否か、この日本という国に生まれ落ち、愛国心も多少なりともあります。だから、今の私は日本を選びます。ただ、日本に住むことは、物質を消費し、自然を破壊することにつながるかも知れません。

・私は、日本に住みたいです。ブータンはのんびりしていていい国だと思うけど、私はやっぱり今の暮らしが慣れていて住みやすいので、日本に住みたいです。

・私は、ブータンに住みたいと思います。なぜなら、今の日本人は大人も子供も心が健康ではない人が多いと思います。身体の健康にも心の安定が必要だし、心が安定していて、みんなが幸せなら、悪い事をしたり、事件を起こす事も少なくなると思います。自分が不便でも、より安全で安心した生活を送れるブータンの方が良いと思いました。

・ブータンに住むのも時間が余っているし、楽に暮らせるかなとも思いましたが、私には日本の方が普通だから今のままでいいと思います。

・日本のほうが住みたい国である。なぜなら、ブータンは時間的な余裕があるかもしれないが、ブータンという国が日本ほどに民主的な国か?と思うからで、服を指定されたりなどいろいろな縛りがあると思うからだ。何事も、多くの選択肢があるほうが余裕があるということなのではないかと思うからだ。生きやすい程度の縛りが、人にとって生きやすいのだと思う。

・やっぱり、日本に住みたいと思う。理由は、水道水を気楽に飲めて、夜一人で出掛けても大丈夫な国だからです。

B「こころ」は、どこに?
・心は胸の奥にあるものと思っていたが、本当に「そう?」と聞かれると、「うん」とは言い難い。考えることは頭で、感じることは心と思うが、確かに「そうだ」とはいえない気持ちもある。が、やっぱり「考えるは頭で、感情はこころで」が私の中では確立されているので、あらためて、胸の奥にあると言える。

*「答えの出しにくい問い」ばかりで、すいませんでした。
 でも、いろいろな答えを書いてもらって、読んでいて楽しくなりました。
 (掲載を希望しない人の文章にも、いろいろな答えがありました。)
 ありがとうございました。



6月3日  現代文の授業で

     1、  「相棒」を読んで、みなさんが『働く』ということについて、心がけていることについて。
 
   2、「ナイン」を読んで、『チームプレー』と『個人競技』の違いについて。  

   どちらかを選んで、みなさんに書いてもらいました。                                      

     1、「相棒」を読んで                       
年齢の違う人との関係を持つことで自分とは違った立場での意見を聞くことができると思うので、いつも自分の周囲の人だけではなく、たまには自分とは違った考え方を参考にすることも必要だと思う。

バイトをやり始めてからずっと店長に言われ続けている事があり、お客様が第一と笑顔で接客しなさいと言われています。お客さんが来ないと商売にならず、笑顔がないと悪い印象をあたえると説明されたから、いつもそれは心がけている。

・働くということもチームプレーなのではないかと思う。みんなが協力し合うことによって、仕事がスムーズに早くすすむこともあります。仲間とのコミュニケーションを私は大切にしています。

・人を動かすということには、まず自分が行動をおこすことが大事だと思う。つまり、自分が「手本」をみせる。「働く」とは、お金をかせぐということだけではなく、何かに時間を費やし動くことだと思う。何事にも懸命に向き合い動けば、それを見ている人はいつしか認める。そういう人が周りを動かす。つまり人が動き、「働く」ことにつながると思います。

・木山さんが50歳代半ばで何回も失敗したとしても、いくら原くんが4年間もガソリンスタンドで勤めていたとしても「足手まとい」とかは思ってはいけないんじゃないか。初日から成功できる人はあまりいないと思う。失敗することは人にはあると思うし、原くんも最初は失敗したこともあったんじゃないかな。でも、協力して二人で仕事をしているというのが、すごくうれしい気持ちになった。

・働くということは、生活していくためのお金をかせぐことであると私は思う。だけど、ただそれだけでなく働くということは、その人にとって楽しくなくちゃ出来ないと思う。

・働くということは、生きていくために必要な事。遊ぶため、好きな物を買うため、旅行に行くために必要な事。

・木山さんが自分の年齢に近いせいか、思ったり考えたりしていることがよくわかる。今の時代、忘れがちなもしくはなくなっている人情を感じる。そして、それは都会ではなく、田舎に通じる。道を聞かれれば、自分の仕事の手を止めてでも案内してあげるし、困った時はお互い様の気持ちがまだたくさん残っている。それは、年配者ほど持っている気持ちだ。

・働くということは、お金をもらっているのだからしなければならない事だけじゃなく、それ以外にも、人としてお客さんに接しなくてはいけないこともあると思った。

・働くことに生きがいを見つける。楽しく仕事をする。お金をかせぐ。

・働くのは大変だと思った。

・二人のように、足りないものを補いあいながら支え合っていける人が見つかるように仕事をしたいと思った。一人の人間では思いつかない視点もあるのだと肝に銘じたいと思う。誰かを思いやることが、働くということに一番大切なことなんだなと思った。それは、お客さんであったり仕事仲間であったりするけれど。

・最初は、二人の気が合っていなかったし、お互いの思っていることも違ったけど、おじさんの仕事の仕方を見て、原くんは変わっていったと思う。お金にならなくても、次にはお客様として来てくれるかもしれないという考え方は、とても良いなと思った。

・「相棒」を読んで、働いたりする上で利益や採算ももちろん重要ではあるけれど、それ以上に思いやりや人との触れ合いというのが、おのずと結果につながっていくのかなと思った。

・私は、アルバイトでもパートでもその会社の利益になることを考え、その会社の社会的イメージが良くなるように心がけて働くようにしています。「相棒」でも同じように、原くんは原くんなりの、木山さんは木山さんなりの行動でガソリンスタンドを良くしていっていたので、気持ちが良くわかりました。

・僕は「働く」ということは、ただたんに与えられた役割をこなすのではなく、思いやりや役割だけでなく、教えられてもらってないことも進んでやる必要があると思っています。

・一人で業務をこなしても疲れるし、ただ働いているっていう感じになると思う。でも、誰かかいれば、お互いをフォローし合えるし、楽しく仕事が出来ると思う。私も木山さんが思うように、人に喜んでもらったり、笑顔をみせてもらったりすると、すごく嬉しい。だから、一生懸命喜んでもらえるようにつとめている。

・なるべく休まず、丁寧に、接客することに心がける。

・私は、准看護師なったのが歳をとってからなの、『ななめの関係』での仕事がほとんどです。自分の子供ぐらいの年齢の方に指導をしてもらうのです。最初からわかっていたので、腹が立つようなことはなく、教えてもらえるので、良い関係が保て、今でも気持ちよく仕事をしています。

・自分からしてみれば、働くということのは自分が生活していくためのお金が欲しいからっていうのが第一に思います。けれど、接客業なのでやっぱり来てくれるお客様を大事にしなくてはいけないし、自分が明るく、楽しく、仕事をするためにも、お客様とのコミュ二ケーションはすごく大事だなあと思っています。自分のためでもあるけど、お客様のためってことも忘れずに、これからも仕事をしていきたいです。

・働くことで自分の欠点を見出し、また相手への気遣いも知ることができる。人間性が磨かれ、いい仕事ができる。

・「まさか、この人が」なんてことはよくあります。自分の思い込みで、その人の本質を見抜けないまま、「この人はこんな人なんだ」と勝手に思ってしまい、後に反省することもありました。その人の中身や本質を理解するのは、やはり短い時間では無理です。が「やっぱりこんな人だった。」という場面もあったりで、永い時間をかけないとなかなかその人を解るのは難しい。でも、中身がステキな人は、外見も輝いています。

・仕事も自分一人ではできないので、まわりの職場仲間に感謝しながら、自分自身の役割と自分に求められていることを考えて、働くようにしています。

・ただお金をかせぐ為だけではなく、社会の一員として、自分より下の世代のお手本となれる様に考えて働いている。

・働くなかまということで、若い方、高年の方たちがいろいろな職場担当になり、その仕事の方法などをうまく伝えていけるように考えて、「働」に取り組んでいます。昔みたいに、どなったりすると今はうまくいかないので、相手を見ながら楽しく伝えている。

・人はお金のため、幸せのため、社会のために働く。たとえお金欲しさだけで働くとしても、結局それは人の幸せのためや社会のために働くのと同じであると思う。

・私はアルバイトをしているのですが、やはり笑顔がいちばん大事やと思います。言葉づかいも大事ですが、笑顔で接してくれる人をみて、気分が悪くなることはないし、むしろ気分がいいと思う。自分がこうされたらうれしいだろうなと思う事はしたいと思います。そして、そのしたことに、「ありがとう」と言われるととてもうれしいです。なので、笑顔で接することは大事だと思います。

・働くということは、社会で生きていくためのたった一つの行為です。私はそのために、学校に通っています。もし働くことになったら、努力は惜しみません。

・「働く」、重い言葉だと思う。一般には食わんがために働いていると言う。食うためだったら、そんなにしなくてもと思ったりもする。食わんが為というのは、他の人よりも少しでもいい生活をしたいという思いであろう。欲望にほかならない。今更、昔の生活には戻れない戻りたくないという思いから働いているんだろうと思う。それによって、得るもの失うものもある。
                                                                    
       2、「ナイン」を読んで
・チームプレーには仲間で得られる喜びや悲しみもあるけど、個人競技では喜びも一人でしか得られないのかなと思った。サポートしてくれる人はいるけどプレーするのは一人なので大変なことだと思った。

・チームプレーと個人競技の違いは、チームプレーは仲間を信じる事個人競技は自分の力を信じる事だと思いました。

・チームプレーはやっぱり大切だと思った。キャプテンは犯罪をたくさんやったのに、それを許してもらえるほどいい人間だったのか?その日陰の思い出が、チームメイトにとってどれほど心に残ったかは分からない。キャプテンは今後、どうなるのだろうか。他のチームメイトは?個人競技よりも、チームプレーの方が、仲間との絆が深まりそうな気がする。キャプテンの心の中がどうなっているのか知りたい。

・チームプレーは他人に気を使う。個人競技は、個人で力を高めることができる。

・私はあまりチームプレーでスポーツをした事がないが、小学校の時はバスケットでがんばった記憶がある。私より上手い子が2名いて、私はおもにロングシュートをまかされていた。だから練習の時は、ロングシュートを一生懸命練習していた記憶がある。それを任されるのが嬉しかったからだ。今でも、その2人と会いたいと思う。

・私は『チームプレー』と『個人競技』どちらか好きかと尋ねられたら、迷わず『チームプレー』を選ぶと思う。『個人競技』は一人で集中して練習ができるだろうし、成功しても失敗しても全て自分だけの力だ。それはそれで嬉しくて、責任感を抱くことができるだろうけれど、私は『チームプレー』の「みんなと頑張る」「みんなと喜ぶ」ということの快感が忘れられない。成功した時の喜び、失敗した時の悲しみは、かけがえのない時だと思う。

・二つとも読んでないのですが、今日授業を受けて、エンディングはどうなるのか気になって、読みたくなりました。特に、「ナイン」。いつも変わっていく世界に、変わらないものって何だろう?とすごく気になっています。今日、家に帰ったら、絶対読みます。

*たくさんのすばらしい文章ありがとうございました。


5月6日  現代文の授業で、
  「木の自由を考えながら」を読んで、『自由と共存』について
A   「私という自分」を読んで、『自分と他者』について、   どちらかを選んで
みなさんに書いてもらいました

@   「木の自由を考えながら」

・木々たちは動けない状態の中で、他者との良い関係を築き上げるために、お互いに必要としているものを呼び寄せる事によって(協力)、共存が可能となっている。私達人間も、木の自由から学び反省して、もっと人間同志のつながりを後世に自信を持って残せる様、努力すべき。

・今、地球では温暖化など様々な環境問題がある。だからこそ自然を含む他者と共に生きていくこと、他者の生活を守り他者の生命活動に助けられながら暮らす、そんな新しい事由の感覚を身に着けていかなければならない。

・木は心がないから他者と自由を共存・両立できるけど、人間は心がある以上、木のような生き方は難しいと思います。受け入れる心は理想的だけど、理想的な心を持つ人はそういないし、そうは持てないものだと思います。

・木の自由とは何か、今まで考えた事もなかったが、木も生物、自由に生きているんだなあと実感した。

・木の自由とは他を受け入れる事で成り立っているが、人は時として他者を犠牲にすることで自由を得ることもある。それによって得られる自由とはどういうものかと思った。

・ふだんは束縛されていると自由になりたいと思うけど、そういう経験をしたからこそ解放された時、しあわせに思えるんだと思う。

・木は将来何になるか決まっているが、人間は職業選択の自由がある。その自由を達成するために、不自由な生活を強いられることもある。不自由を知ることで、自由を知る。

・自由とは何をしてもいいという意味ではなく、周りの人や物などの中での自由であって、自分一人の勝手な考えや思いだけで行動を起こしてもいいわけではない。実際、自由だからといって人を殺してはいけないし、もっと身近なところでポイ捨て等もいけません。いつ何処においても、自由とはある一定の制限の中であるんだと考えさせられました。

・「木」に対して大きな「愛」を感じる。しかし、これは人間の視点で見ているからであって、「木」からすれば、自分の人生を成り立たすために、自分のためにしていることであり、木と動物達がうまく共存している。何事も自分の視点だけでみてはいけない。本当に「自由」とは様々であるのだから。 自分の自由・・・・こうして学校に来られているのも家族の協力があってこそ、考え方によっては、家族といる時間を犠牲にしている。この様なことを考えて、皆に感謝しながら生きていこう。

 ・世の中には、自分一人じゃないってこと。生物がいて、他人がいて今の自分が成り立っているのでは。共存するとは、生きるものにとって必要不可欠なんだと私は思う。

・『木の自由を考えながら』で「人間は時に自己の自由を手にするために他者の自由を犠牲にさえする」とあるが、その通りだと思う。戦争というものもある国のトップだけのケンカに全く関係のない住民が犠牲になっていると私は思う。木のように他者の自由も自分自身の自由も考えられる人間が多くなり、いずれ自然のように争いのない世界になればいいなと思った。

・木の自由というが動く事ができないようにと進化したのか、共存もなぜ他の生き物の力を借りなけれればいけないように進化したのかと思いました。だが、それは他の生き物のために進化したのではないかと思いました。

・木は動けないからこそ自分が必要としているものを呼び寄せる能力を持っているが、人間は果たしてどのくらいの能力を持っているのかなと思った。

・木は自由じゃないと思っていました。でも木は自由じゃないようで、自由なんだと思いました。

・他を受け入れる自由は、自由ではないと思う。

・木は自分では動くことができないが、その点を逆に使って他者をよび寄せて、その力を借りるというのはすごいなと思った。今まで木は移動をすることはできないのでかわいそうだなと思っていたが、この文章を読んで、周りのものと自由を共有していると知り、すごいなと思った。形は違えど人間も木も自由というものはあるんだなと知った。

・私はこの「木の自由を考えながら」を学習して思ったのは木はとても人間に似ていると思いました。なぜなら、木はさまざまな方法でいろいろな物を集めるからとてもさみしがりやだと思います。そして、人間も一人では行動できないとてもさみしがりやな存在だと思いました。これからは木をもっとじっくり見たいと思いました。

・木の自由は他者の自由を犠牲にせず、それぞれの自由を守りながら共存できるすばらしいことだと思いますが、だからこそすぐ枯れてしまう木や大きく育たない気がかわいそうだなと思いました。何百年も育ち続けている木は、みんなに大事にされ必要とされている木なんだなとも思いました。

・人間同志を比べたりはするけど、人間と木を比べるなんて発想がすごいと思った。比べることによって、見えてくる物もあるし、新しい考え方がうまれることもある。

 A   「私という自分」

・自分は自分だけど、自分を受け入れたりすることは簡単なことではないと思った。他者がいるから自分の存在をより強く強調できたり、支え合って上手く生きていくことができるんだろうなと思った。

・私にとって自分とは「思考」だと思っています。あるものを見て、どう感じるか。あることが起こったら、どう対処するか。しかし、思考することは何万人もの頭の中で幾度となく行われており、幅はあれど、同じような考えを持った他者は存在し、出会うでしょう。その時、私は同じ思考に喜びを抱き会話を弾ませながらも「自分」という「思考」が失われてしまったと悲しくなります。

・自分の事をよく見ているのは、家族なので本人よりも良く分かっていると思う。私も家族をよく見て知っているようだが、見えていない所ではどうなのか分からない。私の存在は家族が居るからこそで、一人きりの人生ならつまらないものだったと思う。だから、やはり他者とのかかわりがないと自分は成立しないものだ。

・自分らしくとは、やはり自分をよく知る事であり、いろんな事に苦しみ悩む事なのではないか! でも苦しみ悩むとは、自分の事は自分で答えを出すという事なのではないでしょうか。他者からいろいろと答えてもらってもやはり自分らしくはないのではないでしょうか?

・「自分らしく生きる」という事がどういう事なのか、あらためて考えさせられました。

・人に親切にした時、何かみかえりを求めたりしてしまうが、自分がしてもらってうれしかった事は他者にとっても同じなのだろうか。よかれと思ってしたことでも、そうでなかったりしたこともあるので難しいと思う。だがそんな風に考えると何もできなくなってしまう。

・『私という自分』の作者は、2004年に亡くなっているみたいだが、この話の続編を書いたのだろうか。文中にあるように、「困っている外国人」を助けてあげられたのだろうか。少し気になります。

・自分が困っている立場だったら、助けてもらって外国ということもあって、すごく安心できると思うし、心に残る出来事になると思います。私は人を助けることを進んではやらない人だから、これからは大人に一歩ずつ近づいていくから、この本を例に困っている人がいたら、優しい心で接してあげたいなと思いました。

・自分が正しいと自覚していて、他者と比べてみると、考え方はさまざまで正しい答えがいっぱいあったし、さらに考えを深めることができました。自分を出していくには、素直に伝えないといけないし、自分が言わないと相手も伝えてくれないから深いとも思いました。

・自分以外の他者のおかげで今の自分がいるということを改めて感じることができた。だからこそ、他者を大切にしたいと思ったし、大切にされるような行動をとっていきたいと思った。そして、改めて「ありがとう」という言葉が好きになった。

 *たくさんのご意見ありがとうございました。




(平成23年度)
1月8日(日)の授業で、「折々のうた」という教材に関連して、「世界の名言」というプリントの中から好きな言葉を選んで、感想を書いていただきました。

『自分一人で石を持ち上げる気がなかったら、二人でも持ち上がらない。』 (ゲーテ)

・ゲーテの詩はとても良いことを言っています。これは私の考えですが、人間というのは「気」というものがなければ何もできません。「気」というのは、気力、気合い、やる気という意味があります。ゲーテはきっと「気」という文字を「石」に変えたんだと思います。確かに一人のためにどれだけ協力してもその人に「気」というものがなければ、負担がかかるのは協力する人ですし何よりその人のためにもなりません。私としては「気」がないという人間は人に頼ることしかできなくなると思います。

『他人と比較してものを考える習慣は、致命的な習慣である。』 (ラッセル)

・私が何かやろうとしたり考えたりする時は、他人が見本になったり他人の評価を気にしたりなど他人が基準となることが非常に多い。他人と同じであるということに安心感を覚えるからだと思う。この習慣が名言にあるように致命的と感じる時があるので、これからはこの名言を私の指針にしていこうと思う。

『他人からされたら怒るようなことを人にしてはいけない。』   (ソクラテス)

・当たり前のことだと思います。保育園などでも教えられることです。そんなことを大人になって気付くのはどうかと思います。名言というのは、その本人の自己満足であり、それを他人に広めた時点で恥ずかしいものではないでしょうか。名言で私が一つ気に入らないことは、有名になった人が発したことが名言になるということです。名言の多くは、当たり前のことを言っているだけですから。

『未来は明日作るものではない。今日作るものである。』   (ピーター・ドラッカー)

・遠回しに物事を考えるといつまでたってもやりとげられないということは良くありますね。やりたいことはすぐに実行に移すということが大切だと思います。そんな人ほど早く夢を実現しているような気がします。この名言は素晴らしい。

・私がこの年齢になって高校生活を送ろうとした時、その時が私にとって最良の日であり、私の人生にとってなくてはならない日であったと思います。なぜ、それ以前でなく、それ以後でないのか。今日という日が私の行動の日、私に必要な日であったと確信しています。

『やろうと思えば、人間はたいていのことができると私は思っている。』  (本田宗一郎)
・本当にその通りだと思いました。今までに想像も出来なかったような事をやってのけた人も沢山いるので、何事も最初から「できない」とあきらめてはいけないと思った。

『「負けました」とはっきり言える人はプロでも強くなる。これをいいかげんにしている人は上には行けません。』       (谷川浩司)
・「負けた」ということを認められるということは、もっと努力する事ができるし、もっと成長することができる。「負けた」ということを認められない人は、それ以上成長することができないと思います。「負けました」とはっきり言える人はとても強い人だし、もっと強くなる可能性がある人だと思う。

『苦しいという思いは、その人が苦しさを乗り越えられるからこそやってくる。』 (イチロー)

・イチロー選手の言葉がすごく心に響きました。苦しいと思えば誰でも嫌になったりしますが、「乗り越えられるからこそやってくる」という言葉が勇気になるし、励みになると思います。乗り越えられない苦しさなんてないんだなあと思いました。

『人間いくつになっても、可能性がある。』   (三浦雄一郎)

・年なんて関係ない!!  絶対に自分のやる気だと思います。「挑戦」することをあきらめたらいけない。自分には、まだまだ表には出ていない「可能性」がある。「くじけないで」の柴田トヨさんは90歳で本がベストセラーに!
私も自分の人生、あきらめません。「挑戦」あるのみ。!!





12月4日(日)の授業で、「経験の教えについて」という教材でイソップ童話集が出てきました。
いくつかのイソップ童話集の中から感想を書いてもらいました。

私は今ビジネスの勉強会に参加しています。その中で、「過去を振り返ること」と「自己分析」をしました。過去の自分を振り返って、私は今までさまざまなことに、苦しみ悩んだ長い経験を、人のために役立つことができると思いました。
「経験」=「私の仕事」=「宝物」  知らず知らずのうちに生きてきたことが、きちんと道になっていた。今日この「経験の教え」を学んで、私の経験を人のために役立てようと強く決意しました。本当に私はすごく運がいい。

「よくばりな犬」・・・「川に写る自分がくわえている肉」を取ろうとするイヌの話。           
この話は、小さい頃に本で読んだことがあります。とてもおもしろい話だと思います。
・あるゲームの話です。ある程度いい装備が出来ました。だけど、他の人はもっといいものを持っていました。自分もいざ同じものを作ろうとしたら、失敗してしまいました。欲を張るとろくなことがないですね。


「お母さんのカニと子どものカニ」・・・・「まっすぐに歩きなさい」と子どもにいうお母さんのカニ。  

・やはり親子というのは、何をするにも、所々、もしくはすべてよく似ている。言葉や行動など。よくお母さんに叱られている子供、子供のぐちを言うお母さんを見かける。自分もそうであるが、いつも言える事、思う事は、「一緒だよ」という事。  子供のふりみて、我がふり直せって事でしょうか? (笑)

・私にも子供がいます。子供には今のうちに今のうちにがんばって勉強すれば、将来は恵まれた生活ができるからと口やかましく言いますが、自分も出来なかった事を、親になったからとえらそうに言っている自分に、はっと気づかされる時があります。反省しなければならない事ですね。

「ネズミの会議」・・・・「ネコの首に鈴をつける」という名案を誰も実行できないという話。        
・私は、自分で考えて色々とアイデイアを出します。実現すれば便利になりますが、無理なものが多いです。それでも、考えてしまいます。

「アリとキリギリス」・・・・夏の間、遊んで暮らしていたキリギリスの話。
・私もこのお話のように、目先の楽しさにとらわれて将来のことを考えない時があります。先延ばしにしていても、やらなきゃいけない期限は必ずくるので、日々の努力が必要だと思いました。

「ライオンに恩返ししたネズミ」・・・ライオンも時にネズミに命を助けられることがあるという話。
・どんな生き物でも共存ができなければ生きていけない。食べる食べられるの関係ですら、その二種類がいなければ成り立たないのだから。強者が弱者に頼るという事はあまりないかもしれないが、必ずその時は来ると感じた。
                                                                
「北風と太陽」・・・北風と太陽が、「どちらが先に旅人のコートを脱がすか」という競争をするという話。  
・私が仕事をしているときに、誰かに何かを頼むときは優しく声を掛けます。昔、まだ私が下っ端の時に、一時期やってきた上司が、とても威圧的な態度で仕事をさせていました。やはり、皆の仕事の効率も悪くなり、職場の雰囲気も悪かったです。私が上司になった今は、無理やりではなく、その個人個人の力量にあった仕事を指示し、楽しく仕事をできるように心がけています。
                                                               
「太陽とカエル」・・・太陽の結婚式をお祝いするなんてとみんなを諭すカエルの話。
・このカエル達と同じように、人間は人と同じようにふるまうことで、安心したり喜びを感じたりするものだと思った。



6月5日(日)現代文の授業で、
@「相棒」を読んで、『働く』ということについて、
A「ナイン」を読んで、『チームプレー』と『個人競技』について、   考えたことを書いてもらいました。  
 
                                               
通信制のみなさんは、働きながら学ぶという経験をされていて、今回はたくさん文章を書いてもらいました。「働くこと」は辛いことや苦しいこともたくさんあると思いますが、その上に通信制で学んでいることは、すごいことだと思います。 (当のみなさんは、意識されていないようですが。)

@「働くことについて」


・「働く」ということは、学ぶことと同じだと思います。日々、働いて仕事の内容を覚えるだけではなく、人間との接し方、学識など、学べる点がたくさんあります。常に、学習意識を持って過ごせるように心がけています。

・相棒を読んで、働くことは体にとって大変なのは当たり前だし、人との関わりを持つのは大変だと思いました。相棒の二人のように、二人いて完璧になる接客はすばらしいと思いました。自分も木山さんのように、仕事の決められたことだけでなく、親切な心も忘れないように心がけたいと思いました。

・相棒を読んで思ったことは、働くということは失敗をしてもそれを次からどう変えていけばいいのか。それを考える事で、成長につながっていくと思います。だから、失敗してしまう人ほど成長できる人だと思いました。

・働くという経験でいろいろな事を学ぶ事が出来ました。きびしさとかやさしさとか・・・自分に甘えがあると人に迷惑をかけてしまう事になるので、極力自分自身にもきびしくありたいなあと思っています。人に喜んでもらったり、出来なかった事が出来るように様になった時の達成感はとても充実した気持ちになり、今後のちからにつながると思います。

・「働く」ということは、責任の問題だと思う。成功も失敗も、自分と周りに影響を与えるため、それを理解した上で、責任を持つことが大事である。だからといって、失敗を恐れてもだめだろうから、一言で責任といっても難しいように感じた。

・働くという事は、生活していく中で大切な事の一つであると思う。健康で働けるという事は、幸せな事だと思う。

・心がけていること、心がけたいことは、日々の生活からきっちりしていきたい。仕事だけしっかりしたらいいと思い、生活を甘くすると仕事にも甘い部分が出てくるものだと思う。木山さんは、私生活もきっちりしているだろうと思う。そういうところも、読んでみたかった。

・前までは、自分の好きな料理系のバイトをしていて人間関係もよかったですが、今はお給料の関係であまり好きじゃない接客の仕事についています。全然仲良くできません。なので、今は分からないです。

・自分は接客のアルバイトをしています。「お客様は神様だ」と言いますが、アルバイトの僕にとっては、正直めんどうなときもあります。しかし、それを表に出すことなく、満面の作り笑いと腹に溜まる思いを吐き出す為の張った声でおもてなしをします。たまにそれが楽しくなってきます。みんながみんなそういう接客ではないと思いますが、僕はそんな感じです。良いお客さんもいます。楽しい時は、本当に楽しいです。

・私が「働く」ということについて心がけていることは、二つあります。一つは、お客様に笑顔で接することです。お客様にまた気持ちよく来ていただけたらいいなあと思っているからです。一つ目は、パートナーの人達と仲良くすることです。そうすることで、きっと良いお店になっていくと思うからです。

・「相棒」とは、年齢や上下関係を気にせず、お互い信頼し合っていて、とても素敵な関係だと思います。仕事場にそんな人が居ればとても仕事がしやすく、そして仕事場の空気も明るくなるのではないでしょうか。人間関係とは、とても難しいものですが、信頼できる人が一人でも居れば、とてもいいことだと思います。

・働いている時に大切にしている事は、まわりの雰囲気を常に考えて、行動する様にしています。人生の中で時間は、決まっているし、一日のほとんどを会社で過ごしているので、環境や空気感をとても大切にしているので、仕事が嫌だと思う事があまりありません。

・博士になりたい。

・自分にとって働くという事は、人を支える事だと考えています。働くことによって、何かが生まれ、それが人を助け、誰かに生きる意味を与える。それが働く事だと思います。
・私は仕事が大好きです。心がけていることは、すべての人のため、お客様、上司、仲間、すべての人のために。しかもそうしているだけなのに、自分が成長しみんな喜んでくれる。それが、会社のため国のため地球のためにつながる。広がる。

・働くことは、大変ではありますが、やりがいや勉強になることもあると思います。仕事の上で人と接することは多いですが、その中でも勉強にあることはたくさんあります。そして、相棒のようにお互い励まし合い、高め合いながらがんばっていけると思います。

・まだ働いた経験はないが、原くんや木山さんのようにお互いを補い合っていけるような相棒に出会えるということはとても難しいことだと思う。でも、そんな人を見つけることができれば、互いの良さを発揮でき、弱みも相方がカバーしてくれる安心感も生まれ、仕事に生きがいが生まれてくるのだろうと思う。

・「相棒」も「ナイン」にも両方に言える事で「働く」という事は、チームプレーだと思います。自分だけの言い分を通すだけではだめで、相手の言い分も聞いて、その中で今の仕事をより良くする為には、どの方法が良いのか考えて、みんなで作り上げていくのが「仕事」、「働く」という事だと思っています。

A『チームプレー』と『個人競技』について

「チームプレー」は、一人一人が仲間との協力やかかわりを大事にし、試合も皆で喜び合える。「個人競技」は、目標を自分の意志で決めて試合で発揮できるように、一人なのでプレッシャーもかかる。私は、中学時代にバスケのチームに入っていたので、個人競技にあこがれます。

・まず、チームプレーというのは集団で力を合わせて取り組むことで、個人競技というのは他人の力を借りずに自分だけの力で取り組む事で、僕はどちらかというと、個人競技の方がいいです。人それぞれ向き不向きがあるので、自分が得意とするのを選んだ方がいいと思います。

・チームプレーと個人競技は全く違うものではないと思います。個人個人の働きがチームプレーにつながることもあるし、個人競技も周りで支える人達がいたりして、ある意味チームプレーと言えるのではないかと思う。

・四中工のサッカー部の部員が100名以上いることに驚きました。個人競技と集団競技は、それぞれ向き不向きがあると思います。が、私にはどちらが良いかなあと考えたりしました。

・私は、バスケ部だったのでチームプレーの難しさがよくわかる。自分が思っていることとまわりが思っていることがくいちがうと、空気も悪くなるが、ライバルがいつもチームの中で一番になりたいという気持ちがわいてきて、励ましあいもできる。
月1日(日) 現代文の授業で、
@「木の自由を考えながら」を読んで、『自由』と『共存』について考えたことを。
A「私という自分」を読んで、『自分』と『他者』について考えた事を。               

どちらかを選んで、文章をかいてもらいました。

@ 「自由と共存」

・人間は木よりも行動は自由かもしれませんが、共存ということに関しては人間の方が劣っていると思います。
他者と共存する事があまり人間は得意ではないのかも知れません。
ともに存在する事はできても、犠牲にすることがあるからです。

・何かを考えること、思うこと、表現することに制約がないことが自由だと思う。何かと共存することによって、奪われることがなければいい。何と共存するか自由に選べたらもっといい。

・今まで他の自由と共存するなんてことを考えたことがなかったので、自分の中の自由が少し広がったような気がします。

・人間が一人で生きていくことはできないものだし、木の自由も他者の自由によって成り立っている。だから、自分の自由を確立したいのならば、他者との共存が必要不可欠であるし、その理想的な共存の仕方は木の自由を参考にするのがよいと思う。

・自由に生きる事は一人でもできるが、共存には相手が必要である。発展途上国では、国民が自由を得るために革命(反乱)を起こしている国もある。しかし、自由は自分と相手、そして自由を求めるものの数が増すほど、皆が自由を手に入れるのは難しくなるものだと思った。

・この話の中では、「人間」と「木」の自由を比べていたけど、「人間」の中にもさまざまな「自由」に対する考え方があると思います。
だからこそ、自分と他者それぞれの「自由」を尊重し合いながら、共存していけると良いなと思います。

・私は、「自由」とは自分らしく生きること、自分の能力を発揮することだと思います。
 「個々の自由」(能力)  +  「共存」 (必要とする人の力になる)  = 今の日本に必要なもの

・自由は一見「楽」と思う。裏を返せば、「淋」と思う。自由を共存すると「楽」がつながり「幸」になるような気がする。
他者の力を借りれば、幸せが倍増し、本当の自由が手に入るのではと思った。

・私は、一人ひとりが自由でいたいと思う気持ちが強くなると他者との共存がしにくくなるような気がします。他者もそれぞれ自由でいたいと思うからです。

・他の動物、植物には「共存」というものが成立しており、人間のみが「自由」=「エゴ」という生き方をしている。
しかし、人間だけで生きられる訳ではなく、他の生命との共存なしでは生きていけない。そのことが唯一わかっていないのが、知的といわれている人間なのである。

・動けない木は生きていくために、人や鳥などの力をかりて、何年も自由に生きている。動ける人間はあちこち飛び回ることはできるけれども、考えすぎて腹の立つことばかりだ。

A 「自分と他者」

・「自分」と「他者」と考えて、ふと、いじめのことを思い出しました。「空気のように自分がいないように無視されるのが一番つらい」という話をよく聞きますが、それは「自分」を確認するための「他者」がいないからなのかなあと思いました。「自分」があるためにはどんな形であれ、「他者」が必要で、「自分」も「他者」からしたら「他者」の「自分」を確認する「他者」であるのだと思いました。

・私は自分と他者について思ったことは、他者は自分を傷つけたりする恐怖があるが、自分は他者がいて存在価値があるなっと思う。他者がいなければ自分の存在はないものと一緒だと思う。他者と付き合っていくのは難しいけど、うまく付き合っていけば、楽しいものである。

・自分は他者がいないと生きていけません。他者の協力があって自分がいると思うので、自分も他者の力になれる存在でありたいです。

・なるべくだれかのためになりたいと私も思っていて、日々の生活を送っているけれど、「それは他人のためのものではない。それどころか自分のためですらある。」という言葉にすごく共感し、納得した。

・他人の目を気にしない、という言葉もよく聞くけれど他者あっての自分でもある。評価してくれる人がいないと、自分一人で満足しててもあまり意味がない。だから、私は他人の意見も聞き、また私も他を尊重するよう心がける。

・他者がいなければ自分が存在し得ないというのは理解できるつもりですが、自分一人の行動や思いは、他者に影響しないと思っていた。一人ひとり、自分自身の行動や言動で、他者の関わり方が変化するものだと考えるので、これから、もっと自分自身のあり方や存在を大切にしていきたいです。

・一人でいると、知らぬ間に他者を求めるようになる気がする。もちろんそうでもない人もいると思うが、誰かが誰かを求めるのはとても大事である。楽しみも悲しみも他者と共有できるなら、それはとてもよい事だと思った。

・「自分」と「他者」は、同じ人ですが、心は人それぞれだと思います。なぜかと言うと、生まれや育ちによって違いが出るからです。